Zen of Palmという概念

mizuno-amiさんが、昨日の日記で

いなあもさんの使い方を読むと、あらためて人によって使い方が異なるのだなと、思い知らされます。

と書かれていました。
僕もVisorを使っていた頃と同じ使い方を続けていれば、Z22で十分だった事と思います。
やはりClieを使うようになってから、あれもこれもと用途を拡大した結果の名残なんでしょう。
ソニーClieで提案したことを否定するつもりはありませんが、最初からClieを使い始めたような人とか、Windows Mobileを触った人にはPalmOS本来のシンプルさは物足りなく感じるのかも知れません。

ご存知の通りPalmはZen of Palmという概念に基づいて開発されたと言う経緯があります。
PDAは機能てんこ盛りのPCとは別の物であり、特定の機能に特化したもの。
それゆえにシンプルな機能で最大限の結果を求める事を追求することを信条とするのが、Zen of Palmの基本概念だと伺ったことがあります。

改めてPalmというデバイスを見ると、PIMに特化した4つのアプリケーションランチャーボタンやGraffitiによる文字入力、それにPIMアプリケーションのユーザインタフェイスなど、どれもシンプルな操作で最大限の結果を求めるための工夫が随所に見られます。

特に住所録や予定表などは、紙の手帳よりも素早く目的の情報にたどり着くための工夫が各所にちりばめられていて、プログラムの開発者の視点から見ても感心させられる事だらけです。

最近はPalmOSも色々と機能が増えてきて、当初ほどのシンプルさが霞んでいるようにも見えますが、それはPalmがZen of Palmという概念を捨ててしまったと言うことではないと僕は思っています。
Palmバイス自身もCPUが68000系からARM系に変わったり、メモリ容量が増えたりとデバイス自体のキャパシティも強化されていますし、その中でできることを最大限にやるというスタンスから外れない限り、Zen of Palmの精神は息づいているのだと僕は考えています。

さて、話は変わりますが、ちょうど陰郎さんがPPLZen of Palmの原文の訳出を公開し始めたところです。
まだ公開が始まったばかりで全章の公開が完了するまでにはかなり時間がかかることと思いますが、僕もまだ原文を読んだことは無いので楽しみにさせて頂こうと思っています。

皆さんも一度この文章を読んで、Zen of Palmとは何かと考えて見てはいかがでしょうか。
それから改めてご自分のPalmを向き合った際に、その設計思想の素晴らしさが見えてくるのではないかと考えています。