決意〜いわゆるひとつのノスタルジィ〜

僕がコンピュータと名のつくものを最初に触ったのは1979年なので、もう四半世紀以上の付き合いになります。
振り返ってみて、改めてその年月の長さに驚いてしまいました。

ここから先はパソコンオタクのたわごとです(長文)
僕が最初に触ったパソコン(当時はマイコンと呼ばれてました)は、シャープのMZ-80Kと言う機種。
当時はソフトが流通するような仕組みが世の中に存在してませんでしたから、ソフトは自分で作るしかありません。だから当時のパソコンには必ず開発環境が用意されていました。
MZ-80KにもBasicが標準で用意されていて、僕も夢中でプログラムを打ち込んだものです。

当時は8ビットCPU全盛でしたから、メモリも最大で64Kバイトしかありません。
今考えると、標準的なPalmware1本分にも満たないメモリサイズですが当時は非常に広大に感じたものです。
CPUのクロックも2MHzとか4MHzといったレベルですから、今のパソコンの1千分の1以下。速度的には1万分の1くらいの速度だったかもしれません。

そんな環境で、さらにコンパイルもできないくそ遅いBasicでプログラムを書くわけですが、自分の書いたプログラムが動いている様を見るのは非常に楽しいものでした。

やがて少しでも速い開発言語を追い求め、アセンブラに手を出します。
アセンブラは、CPUの実行コードをそのまま書く事が出来ますから出来上がったプログラムはBasicの何倍もの速さで動作します。
MZ-80Kは当時主流だったザイログという会社の作っていたZ-80というCPUを搭載していましたので、Z-80のアセンブリ言語を習得することになりました。
Z-80はその後NECPC-8001/8801といったパソコンにも搭載されましたから、その後の僕のプログラム開発には非常に役に立った記憶があります。

やがてプログラムを雑誌に投稿するようになり、僕の作ったプログラムが(僅かではありますが)世の中に出回るようになりました。
しかし、やがて世の主流はインテルの8086に代表される16ビットCPUへと移っていきます。

インテル8086というCPU、実はアセンブラを使うには非常に厄介な構造をしていまして個人的には好きになれませんでした。
Z-80が世の中から忘れ去られていく中で、僕はひたすらにZ-80に固執しました。
これは、いかに過去のアーキテクチャーだろうと、Z-80が使いやすく大好きなCPUだったからに他なりません。

やがて16ビットCPUに乗り換えた際も、あえてモトローラの68000というCPUを選んだのですが、これも8086系CPUが嫌いだったからだと言っても過言ではないでしょう。

さて、この68000というCPUの流れを汲むDragonballというCPUがあります。Pilotから始まる、ご存知Palmバイスに搭載されていたCPUです。
今でこそPalmのCPUはARMに変わってしまいましたが、Palmwareの大半はいわゆる68Kコードと呼ばれる68000向けのマシンコードで記述されています。

僕がPalmを好きな理由は使い勝手の良い設計思想が好きだからなのですが、その他に68000の流れを汲むCPUを使っていたからというのもあるのです。

最近はPalmWindows Mobileなどに押されて非常に肩身の狭い思いをしています。
そんな中、大好きなPalmのためにソフトを書く自分を振り返ってみて、20年前にZ-80にしがみ付いていた自分を思い出さずにいられません。

「歴史は繰り返す」と言いますが、Z-80という8ビットCPUは既に終焉を約束されていたのと比べると、Palmにはまだ託せる未来があります。
けして平坦な道のりではないですが、僕は道がある限り歩いていきたいと考えています。